あすなろ日記Ⅱ 食養学の真髄を考えましょう
変才先生の徒然日記。おかしな頭の中をちょっと覗いてみましょう。
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エゴギョウ中級理論編1
はじめに
エゴギョウは思考ツールです。このツールを自由自在に利用できれば人生はもっと面白いものになります。
エゴギョウは自己の感情の仕組みを知ることで不快な感情から解放されることを目的としてつくられました。さらに、自己を知ることは他者の感情への理解にもつながるので円滑な交流ができるようになります。
また、感情と身体は密接で、いえ密接という以上に不離一体でお互いが打てば響くように影響しあっています。さまざまな身体症状がありますがその症状がどのような感情と結びついているのかを知ることも役に立つことでしょう。
感情の起伏はそれ以前に考え方に多く影響されています。これまでに多くの心身に関する相談をしてきましたが、その考え方を変えないとなにも改善しないと思うことが多々ありました。
エゴギョウを学ぶことは自己の感情の動きを高い視点で観ることができるようになります。エゴギョウの主要な目的の一つは自己と他者や社会の実相を観察することにあります。より深く高い観察眼は考え方を引き上げ判断力を鍛えることができます。
判断力を高めることこそがこのエゴギョウの目的なのです。なぜなら判断力こそが自由な生き方を貫かせてくれる道具であるからです。
エゴギョウは思考ツールです。このツールを自由自在に利用できれば人生はもっと面白いものになります。
エゴギョウは自己の感情の仕組みを知ることで不快な感情から解放されることを目的としてつくられました。さらに、自己を知ることは他者の感情への理解にもつながるので円滑な交流ができるようになります。
また、感情と身体は密接で、いえ密接という以上に不離一体でお互いが打てば響くように影響しあっています。さまざまな身体症状がありますがその症状がどのような感情と結びついているのかを知ることも役に立つことでしょう。
感情の起伏はそれ以前に考え方に多く影響されています。これまでに多くの心身に関する相談をしてきましたが、その考え方を変えないとなにも改善しないと思うことが多々ありました。
エゴギョウを学ぶことは自己の感情の動きを高い視点で観ることができるようになります。エゴギョウの主要な目的の一つは自己と他者や社会の実相を観察することにあります。より深く高い観察眼は考え方を引き上げ判断力を鍛えることができます。
判断力を高めることこそがこのエゴギョウの目的なのです。なぜなら判断力こそが自由な生き方を貫かせてくれる道具であるからです。
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エゴギョウ中級講座 火性こそがすべての事象の原因になる。
本日のこと「さやか」さんがいらっしゃいました。
「さやか」さんのことは食養学初級編で紹介しています。
そこに彼女の手記があります。
さて、彼女は音大を卒業されて幼児の音楽教育の道に進むのだとはっきり進路も決まり
あいさつにこられたのです。
そのときに「お蔭さまでわたしは変わりました」という言葉だったのです。
実際のこと道でかつての同級生に会っても、誰も彼女だとは気付かないくらいに顔つきまで変化したのです。
彼女をわたしに紹介した女性が「あのときの富田さんの言葉ですべてが始まったからね」
ということで「お蔭様で」に続くわけですが
あくまでわたしの言葉は本当に「お蔭様」なのであって「お光様」ではないのです。
そういわれて嬉しくないわけはないのですが
そういわれて嬉しくなったのは「あなたのおかげですよ」と心の中でつぶやいていました。
彼女が変わるための力は彼女自身がもっていたのです。
火性がなにしろ20点でしたから。
火性が20点もあるとそのエネルギーのはけ口を持っていない場合は苦しみます。
そのはけ口を求めて横にソレてしまいはげしく「やさぐれて」いたわけです。
自分の機能を使っていないときに人は不幸を感じます。
20点ということは非常にすばらしい芸術的素質をもっているのです。
それをみつけていないとき「やさぐれ」ます。
彼女はエゴギョウセミナーでの「小学校5年生のころなにをしたかった?」というわたしの言葉が縁になって
音楽への心の底からの欲求に気付いたわけです。
それからは紆余曲折はあったもののまっしぐらでした。
石はいくら温めても芽を吹きません。
種であれば、それがなんであれ条件(縁)を与えられれば芽を吹きます。
彼女は少ない縁ではあったけれど20点だったのですぐに芽を吹いたわけです。
火性が低ければ石ではないのだけれど
非常に硬い殻の種なので多少の縁では芽を吹きません。
自分の奥底から吹き上げてくる欲求という名の風を感じなければ
ついに生きた証が立てられないでしょう。
彼女はその吹き上げてくる風を感じていたので苦しんでいたのです。
その風を抵抗とするか自分を押し上げてくれる追い風にするかで
ぐれるか輝くかに分かれます。
彼が欲しいー、という女性は多いですが
今の日常がつまらなくて、彼ができればつまらなくなるだろうと期待しているのです。
真実は日常がつまらないのではなくて、その人自身がつまらない人になっているだけです。
そんなつまらない人に輝いている彼ができるでしょうか。
日常をつまらないと思っているつまらない男しかつかまらないのです。
いきがいのある日常に取り組んでいる女性は彼が欲しいなどとは言いません。
生きがいある生き方をしているときには
生きがいある人生を欲している意味のある男性が自然に近づいてくるのです。
彼女はすっかり脱皮したように成長してくれました。
相変わらずキラキラした眼をしています。
エネルギー落ちの昨今のわたしですが
おかげさまで力をいただけました。
この仕事のおかげです。
仕事冥利です。
エゴギョウ中級講座 感情の不感症2
かなり以前の議題ですがもう一回・・・。
以前の記事
Yさわちゃんからコメントがありました。
以前エゴギョウの講座のときに全ての表現は『うんにょ』だ!と豪語されていたのを思い出しました。お米は稲の○○○、絵は画家の○○○、音楽は音楽家の○○○。
先生の講義はある意味先生の○○○。
う〜ん、先生のお仕事は深いですね〜。
わたし「○○○」はアンコではありません。ましてインコでもありません。
ところで感情の不感症はどうしたら治りますか?
これといった男を見つけたらって、これって思わないんだもん。
また、先日仕事で演歌のナレーションを考えていたとき、さっぱり共感できずお手上げでした。
他者へも自分へも感情の不感症だと気づいたこの頃です。ええ、平太にのみ感情は特化していますが…。
終了
Yさわちゃんの場合は火性も高く、その火性が豊かな表情を演出しています。
本物の感情の不感症になると表情が動かなくなるものです。
本当は順序が逆ではないかと思いますね。
表情を意図的に動かさない→感情も動かなくなる
なぜ表情を意図的に動かさなくなるのか、ということですね。
それはおそらく不利になるから。
表情を相手に読み取られないようにするには、それを消し去ることなのですね。
ところで
猿は相手を騙すそうです。
そのためか、眼に白眼がないのです。
ですからどこを見ているのかわかりません。(こんな奴って不気味ですね)
犬には白眼があります。
ですから犬とはコミュニュケーションが取り易いですね。
眼を合わしたり、逸らしたりしてなにかを伝えようとしています。
私たちにも白眼があります。(黒眼ばかりなのは少女漫画の主人公だけ)
感情と視線は関係しているような気がしますね。
相手に感情を悟られない様にするために視線を固定化することがあります。
わたしは困ったことに動揺すると「眼が泳ぎ」ます。
さて、
ポーカーなどの心理的ゲームはポーカーフェイスを必要とします。
この点で犬はポーカーができないのです。
良いカードがやってくると表情はポーカーフェイスを保てても
残念なことに尻尾が動いてしまいます。
この商業主義の世界では損をしないために、あるいは損をしてもできるだけ表情を隠さないと損をしてしまいます。
ところが個人同士の人間的交流においては表情を消し去ると、それこそ大損をしてしまいます。
好きな人の前に出ると表情を固くして無口になる人がいます。
それどころか却って憎まれ口を叩いたり、不快な表情を示す人もいます。
嬉しいという感情と逆の事を云ってしまうのです、とわたしに語った女性がいました。
これは期待をはずされることが怖いから、事前に心理的なガードを張っているのでしょう。
もうひとつ
無表情から不感症になるルートに
強い怒りがその人に内在しているときです。
強い怒りは却って表情を消し去ります。
五行では「肝は怒り」というのですが
これは肝が怒りで破たんした時ですね。
木性である肝が丈夫な人は怒りに堪えて表現しないのですね。
怒らないで「損をしまい」と頑張っているのです。
怒りそのものの衝動は金性からやってくるのですが
金性の云いたいこと、抗議したいことがたくさんあっても
木性がその衝動の爆発を許さないのです。
その葛藤が無表情をつくるということなのでしょう。
エゴギョウ中級講座 人生ゲーム2
コメントで質問?がありました。
以下質問
ところで「人生ゲーム」の発案って
意外と古いってネットにありましたが
明治維新あたりってホントかな?
「人生ゲーム」で人生維新?
終了
それは非常に興味のあるところです。
わたしが思うに維新前幕末にはあったように思います。
高杉晋作の自制の句をみるとそう思うのです。
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
それ以前の世は侍はずっと侍だったのですが(そういう思い込みがあった)
侍ではない自分をイメージできる世になったのですね。
ですから脱藩者が多く輩出したのです。
それ以前は犯罪をしない限り脱藩などはだれもできなかったのです。
演技者としての自分を自覚し始めたので
侍をやめても、もっと違う役割演技ができると考えたのですね。
こういう現象を起こす駆動力はどこにあったのか。
エネルギーが高くなって、それが多様化へと向かったのでしょう。
やはり化石燃料を得た人間自身に駆動力がついたからなのでしょう。
産業革命こそが人の多様化への原動力だったとおもうのです。
このあたりまだ整理がついていません。
だから判りにくいでしょうね。
エゴギョウ中級講座 人生ゲーム1
コメントに人生ゲームという言葉がありました。
人生はゲームなんだと自覚することは
人生に埋没しない方法ですね。
ゲームを自覚する人と→木性
ゲームをする人に分かれることになります。→火性
相生関係から木性は火性をコントロールできるのですね。
この世が浮世であると自覚することができます。
浮世の出来ごとですから「苦しさ」も楽しんで味わう体験になります。
浮世とは仏教の概念で
この宇宙の一隅にボーと仄明るく照らし出された舞台のことです。
わたしたちはこの舞台で毎日演技しているのです。
要は演技をしているのだと自覚することなのです。
演じている役と、演じようとしているもう一人の人を創造することが
ゲームを演出していくことになるわけです。
どうせ舞台で演じているのなら
観客を唸らせる演技をして楽しもうではありませんか。